私の角度

屋久島とメヒコを拠点に、世界を旅するアーティスト✨

モモは変わった子供


私は、幼少時代からとても変わっていた

 

今も変わっている。とは自覚しているものの

 

幼稚園の頃の

 

誰の目も1mmも気にすることがない時代の私は

 

自分で言うのも何だけど、

 

とてつもなく変わっていた^^

 

 

どんな風に?

 

まず、幼稚園に行くことに決めたのは

 

中庭に大きな大きな鳥籠の形をした鶏小屋があり、

その中には大きな木が何本か植えられていた

鶏小屋にはインコや孔雀など何種類もの鳥たちがいて

 

私は、その鶏小屋が気に入って幼稚園に行くことを決めた。

 

 

 

なぜか初日から私は鶏小屋の中で園長先生が鳥の世話をするのを手伝っていた。

 

 

次の日も次の日も私は鶏小屋にいた。

 

ほとんど、鶏小屋にしかいなかった。

 

 

 

何度か、担任の先生が呼びに来る

 

私は、大丈夫です!とかいって絶対教室にはいかなかった

 

 

一度教室を見にいったら、みんながカエルの歌を

 

振り付け付きで歌っているのを窓越しに見て。

 

 

急いで先生に

 

私は、ああゆうのは絶対にしません!

 

とはっきり言ったら、

 

意外とあっさり

私は、何も期待され無くなった。

 

 

私の毎日の幼稚園のローテーは、もれなく

みんなとは全く違うものになっていった。

 

朝、幼稚園に到着、朝礼の挨拶後

プールの時以外はみんなと別行動。

 

即鳥籠へ向かう!

ある程度満足したら、お昼の時間がやってくる前に何としてでも帰る!

 

なぜなら、お昼は

赤いプラスチックに入った世にも不味いお弁当が出るのだ!

幼稚園が外注しているそのお弁当はプラスチックの匂いがしてみんな大嫌いだった。

 

しかし、先生たちは残さず食べないと

何時までもネチネチとその子のお弁当の時間を終わらせずに

その子が泣いても怒って食べさせた。

 

そんなことをなぜするのか?

私は何度か先生に尋ねたが、

しっくりくる答えなど返ってこなかった。

 

私ももちろんプラスチック弁当を完食できるわけがなく

でも、あんな見せしめのような拷問に合うわけにもいかず。

 

お弁当前になると、

家の近所のガススタンドが幼稚園に給油に来た時や、

先生用の昼の出前を配達に来た人などに

交渉して、家まで乗せてもらって勝手に帰っていた。

 

そのどちらのチャンスもこない時は、

いただきますから3分もたたないうちに

机からお弁当を落下させて。断固食べるのを拒否した。

 

何時も嗚咽をしながら

怒られなながら

恐怖のお弁当時間を過ごしていた子供たちが

おかずを、落下するようになって。

 

先生はさらに激怒していたが

 

おかず落下


によってかなりの子供が助かったと思う^^

 

 

ももちゃんは扱いにくい子レッテルはその時からだ^^