私の角度

屋久島とメヒコを拠点に、世界を旅するアーティスト✨

モモの旅行記 短編集 シンガポール編


今日は2023年3月8日

 

現在私は、メキシコのチアパス州サンクリストバルでこれを書いている。

 

 

 

まず、

 

私の初めての海外旅行は

 

1980年のシンガポールだった

 

その頃の私はまだ6歳で、親の仕事についてシンガポールへ行った

 

初めて日本以外の土地に降り立った時の、飛行機から降りる一歩目を

 

40年以上経った今でも、鮮明に覚えている。

 

 

1980年のシンガポールは今のラオスぐらいの感じで

 

緑が多くゆったりとした南国の風が吹く雰囲気が漂っていた

 

その頃のラッフルズホテルは平家で広い庭があってゆったりしていて

 

子供を預けるにはもってこいだったと思う。

 

 

 

 

 

私は当初から、怖いよりも恥ずかしいよりも 

 

好奇心には勝てないタイプで

 

仕事に出かけた親を待っている間、

 

もちろん部屋から出て

 

ホテルを隅々まで探検した。

 

 

 

白い廊下にライオンの足跡がついていて

 

それを辿っていくとホテル内のお土産街に導かれ

 

その中のアンティークショップのお面達をず〜っと見ていたのを覚えている。

 

 

 

部屋に帰る前に、親からもらったシンガポール$をホテル内の売店で使ってみたら

 

シールを買ったお釣りが、飴で帰ってきたのには、子供ながら芯底驚いた!

 

 

子供だからそんなことするのかと思ったら、

 

次のお客さんもお釣りに飴を渡されていた

 

よく見てると、レジの一番右にぎっしり飴が入っていた。

 

 

 

 

そう言えば、その時アンティークショップで買ってもらった

 

真顔のコアラのぬいぐるみを、

 

私はすごく気に入って、大人になっても一緒にいたのに

 

何時の間にかはぐれてしまっていた。。。

 

 

 

 

 

それから、12年後

私はシンガポールに留学して

 

一年半後には、だいぶ年上のイスラム教徒の人と最初の結婚をし

 

私は20歳少し前にイスラム教になった。

 

 

小学校から12年間 手にお数珠をかけ

般若心境をあげていた仏教系の学校を出てすぐだったので

 

イスラム教やコーランはとても新鮮だった。

 

 

その頃には、お釣りの端数を飴で返される事にもすっかり慣れていた。

 

 

そして

その時の若い私は

結婚式は、もちろんラッフルズホテルで💖

って、ド派手に開催したな〜。

 

結婚相手がプラナカンというまた特殊な家系で

 

親戚の中に、イスラム教徒、仏教徒ヒンドゥー教徒がいて

 

結婚式の食事に

豚だめ、牛だめ、肉だめなどの規制がかかりまくり

 

みんながハッピーに考慮するのが大変だった。。。

結婚コーディネーターなどいない時代で

何から何まで自分で決めて、調理場にまで顔を出し

あれこれ、シェフと相談した。

 

かける音楽の順番、タイミング

 

何から何まで自分で全部企画した

 

思い出せば、あれが人生初のイベント^^

 

楽しすぎて、結婚式終わってからプチ鬱になるくらいだった。

 

 

 

結婚式の祝い方は、どの宗教も大体同じだけど

 

 

 

お葬式の仕方は、というと

各宗教によって全く違う。

 

 

 

中国仏教系のお葬式は

 

少なくとも三日三晩麻雀をする

長いお葬式だと1週間くらい麻雀をする。

 

お酒も食事もどんどん振る舞われ、私も身内側だったので必死にお手伝いする

 

24時間休むことなく

10卓以上麻雀の台が出て、来る人が多くて足りなければ

麻雀台も次々継ぎ足される

 

まさに、どんちゃん騒ぎ

 

その会場の真ん中には竹籤と紙で作った

 

ベンツやお金や豪邸を形取ったお供えを、

 

うず高く積んだものが設けられ

 

出棺の際それに火を付ける。

 

泣き女が甲高い声で泣き喚く。

 

 

お供えに着火したら、

 

みんなが突然一斉にくるっと会場に背中を向け

 

挨拶も交わさず、わらわらと家に帰っていく

 

けっして家に帰るまでは、後ろを振り向いてはいけない。

 

 

背後にゴウゴウと焚き火の気配を感じ

 

泣き女のけたたましい泣き声に押し出されるように、皆会場を後にする。

 

何日もにわたる、どんちゃん騒ぎの末

 

何ともシュールな感じで終わるお葬式だった。

 

 

 

イスラム教のお葬式は、

24時間以内に土葬にするので

亡くなってから、同性の親戚が亡骸を洗い 

全身に包帯を巻き と、

とても忙しい。

 

遺体は土葬でそのまま埋葬され、

コーランを読み

頭と足の位置にそんなに大きくない石を一つずつ置いて

おしまい。

 

とてもあっさりしたお葬式だった。

 

 

 

結局その結婚は5年ぐらいだった気がする?!

 

十九の私はイスラム教がどんなものか全く知らず、先入観さえなかった。

 

シンガポールイスラム教はあの時代 世界で最も緩かったと思う。

今もかな?

 

それでも、豚肉を食べることはしなかった  かな?

 

ラマダン(昼間の断食)もイスラムの皆はきちんと過ごしていた。

 

親戚での集まりには、私も頭から爪先までバジュクロンを着た。

 

一度、イスラムの親戚でセントーサ島に行った時

 

みんな被り物をつけたまま船から海に入るので、

 

私も真似してドボンと飛び込んだら

 

布が顔に張り付き、危うく死にそうになった 事もあった。。。。。

 

 

 

私がイスラム教で一番好きな習慣は 挨拶。

 

目上の女性には、手の甲にキスをしてから頬にキスをする

 

何とも優雅で、美しい習慣だった。

 

 

 

私が結婚したての頃のシンガポール

 

,まだオーチャードrdに高島屋すらない時で

 

あそこに何かを建てると、必ずものすごい不幸が起きて家ごと潰れる

 

と言い伝えられて広い空き地になっていた

 

そんなところに、日本からやって来た高島屋が君臨した時は

 

みんな日本人は怖くないのか?と本気で驚いていたし

 

建物を建てる前に、おもすごいお祓いが行われたとも噂になっていた。

 

 

 

高島屋ができるまでは

 

ラッキープラザという雑居ビルに、シンガポールの最先端が全て集まっていた。

 

そこに、ファイヤーというシンガポールで唯一のディスコがあり

 

開店の21時には、

天井のドラゴンが、何も見えなくなるほどの煙を吐きながら

上を飛んでいくというド派手なスタートが私はとても気に入っていた^^

 

宗教とは関係なく

お酒を全く飲めない私は、毎日踊るために部活のように通っていた。

 

その後、最終的に26歳あたりでシンガポールを出てから

 

私はまだシンガポールを1度も訪れていない。